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あたり屋 天主ブログ

大阪東三国の本格的蕎麦屋「あたり屋」です。落ち着いた空間で自慢の蕎麦はもちろん、お酒に合う一品や、天ぷらを心ゆくまでご堪能いただけます。

臨時休業

05 28, 2012
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5月28日から31日まで臨時休業致します

御迷惑をおかけします
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友人のメール 最終日

05 12, 2012

福島6日目(最終日)のボランティアリポートです。

5/6朝、ボランティアセンターで6:30に起床。全員でセンターを掃除。8:30のマッチング(地元の要望に対して、誰をどこに行かせるか決める作業)まで自由時間。
みんなが集まる部屋でコンビニ弁当を食べていると、一昨日、同じ現場に行ったリーダーが私の席の前に座り、神妙な顔でこう言いました。
「土橋さんが一昨日頑張ってくれた佐藤さん宅、おかげさんで昨日終了したよ。それでね。作業終了した後、佐藤さんがみんなにを集めてお礼の言葉を言ったんだ。でもご夫婦とも涙で言葉にならなくて…。ボランティアみんなももらい泣きしちゃって…。」
それを聞いた時、一昨日、佐藤さんのご主人が私に話してくれたことを思い出しました。
自分の母親が津波で亡くなっていること。
風評被害で、自分の代では米作りはできなくなり、農業機械もすべて廃棄すること。
立派だった家は津波被害で半壊に近い状態で、避難中、3回も家には泥棒が入っていること。
私は、涙をこらえることができませんでした。
昨日、別の団体に合流して活動した私なんかのために、このことを話してくれたリーダーに、お礼を言い、最終日の今日、悔いが残らないよう精一杯お手伝いさせて頂こうと心に誓いました。
マッチングが始まり、センター長が作業の説明を始めます。GW 最後の日だからか、一時、60人いたボランティアは、15人ほどになりました。
作業は、小高区の3件。私は、中村さんというお宅で泥出しを4人ですることになりました。
小高区に入り、車を停めて、中村さん宅に移動中、近所の方に呼び止められまれ、こう言われました。「今日来てくれると聞いてたんだけど。物置の中身を出してくれるだけでいいんだけど」。
指を指されたその先には、泥だらけの家財道具が詰まった物置小屋がありました。その方は、70歳ぐらいの方でしたが、スコップを持って泥出しをしています。
今日の私たちのリーダーが対応して、ボランティアが少ないので、今日は来れないと説明すると、残念そうな顔をされていました。
私は、中村さんの現場を早く終わらせて、この方のお手伝いをしたいと思い、中村さんの現場に着くと同時にガンガン泥出しを始めました。
私の隣でスコップを持っているのは、今年3月まで陸上自衛隊にいた柔道二段の22歳男。
私と一緒に泥出しをガツガツしてくれるので、夕方1時間位は、あのおじいさんのために時間ができるかなと期待したのですが、昼過ぎ、急な雷と雨で、待機を余儀なくされ、結局、中村さん宅の作業でいっぱいいっぱいでした。

作業終了後、中村さんがお礼の言葉は言ってくれました。方言がきつく、全部わかりませんでしたが、中村さんは肺がんで、肺を一つ取っていて声が小さく、長くしゃべれないとのことでした。
中村さんは75歳ぐらいの方で、しゃべるのがつらそうでした。

私達は車を置いている所に移動中、今朝声をかけられたおじいさんの家を覗きました。物置小屋から少し家財道具が出されています。ボランティアが待てないのか、ご自分でされたのです。
申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

センターに帰り、センター長に挨拶して急いで福島駅に向かいました。
雷で停電して、東北新幹線が遅れていましたがなんとか最終の新幹線で、神戸に帰れそうです。

今回のボランティアで色んなことを感じました。まだ整理ができませんが、わかっていることは、被災地ではまだまだ困っている人がたくさんいて、ボランティアを待っているとと言うことです。
今度は早くて8月の参加になりますが、今回見たこと、聞いたこと、感じたことを心に刻み、明日からの日常生活を通し、一生懸命に生きていきたいと思います。

写真は一昨日、ボランティアセンターで虹をバックに撮って頂いたもの。
センターの方針で、被災地では写真は控えているので、センターで他のボランティアと。

ボランティアリポート読んで頂いてありがとうございました。
土橋傑

友人のメール5日目

05 12, 2012

5/5のボランティアリポートです。


今日(5/5)は、別の団体に参加してのボランティア活動。
最近わかってきたのですが。今回の災害でボランティアをするには大きく分けて3つの手段があると思っています。
一つは私のように地域の社会福祉協議会が運営しているボランティアセンターでお世話になるケース。
2つ目は、団体でチームを作って直接現地の組織に行くケース。
3つ目は行政でも団体でもなく、私的な団体で集まり、直接被災者と話をして泥出しなどするケース。
今日、私は、この3つ目のケースを体験しました。集まったメンバーは行政ではない団体がいくつか集結したもので、ツイッター等で、情報を知って集まった人が多いとのこと。
私が合流した「ナイン」も集結したグループの1つでした。

道の駅の駐車場には約50人のボランティアが集まりました。リーダーシップをとる「復興浜団」の代表の挨拶の後、20台ほどの車で、一路、小高の海岸へ。ご遺体の捜索を1時間やりました。まだ行方不明で見つかっていないご遺体をボランティアで見つける試みです。
最近まで警戒区域だった小高は、警察や自衛隊がすべての場所を探せているとは言えず、また、津波で沖に流された人達が潮の満ち引きで海岸に戻って来ている可能性もあります。
約50人のボランティアは一斉に、海岸沿いを捜索しました。
リーダーシップをとる「復興浜団」の代表のご自宅はこの南相馬にあるのですが、ご両親とお子さん2人が今回の津波で亡くなり、まだ全員のご遺体が見つかっていないとのこと…。

今日は残念ながらご遺体は見つけることはできませんでした。

捜索の後、全員で小高区の被災者家屋へ。泥だらけになった敷地をかたっぱしから泥出しします。50人でやるのでとにかく早い。圧倒されました。ボランティアセンターがする活動と違い、現場のリーダーはおらず、これといって役割分担も決まっていません。ただ目の前のガレキと泥を出すのみです。スコップの数も全員分なく、なかには仕事にあぶれた人もいます。若い人が多く、まさに力わざ!
午後と合わせ、今日1日で2件のガレキ撤去、家財道具搬出、泥出しをしました。午後4時、再度海岸で捜索作業。その後、みんなで復興浜団代表宅でお線香をあげて解散しました。

明日はボランティアセンターでの活動に戻るので、今日(5/5)はセンターで泊まります。

福島最後の夜は、センターで知り合ったソロモン諸島出身のボランティアと飲みました。奥さんは青年海外協力隊出身で、夫婦でのボランティア参加です。(添付写真の二人)

明日(5/6)は最後のボランティア。緊張して誰にもケガをさせないよう、臨みたいと思います。

土橋傑




友人のメール四日目

05 05, 2012

昨日(5/4)の活動報告です。

5/1から5/3の昼まで仕事をして、福島に戻りました。5/3の20時頃、新幹線で福島駅に到着し、トヨタレンタカーで2トントラックを借りてどしゃ降りのなか南相馬市へ。
トラックを前回1トンだったのを2トンに変更しました。これは、より被災地での活動守備範囲を広げる意味もありますが、GW でボランティアがたくさんセンターに来たために宿泊所が一杯になってしまい、車中泊しなければならなくなり、少しでも運転席の広い車にしたかったためでした。

5/4朝5:30起床。センターに行くには少し早かったので、警戒区域が解除された小高区(おだかく)に行ってみることにしました。
震災後、時間が止まっていると言われている小高区は、それまでいた原町区や鹿島区とはまるで違う世界にいるようでした。海側では一面に広がるたんぼのあちこちに津波で流されてきた車がひっくり返っており、内陸側では、全半壊した家屋が目に入ります。
昨年3/11の地震後、すぐに津波が町が襲い、原発が爆発して住民は、町から避難を強いられたのです。
まさに震災から時間が止まっているようでした。
新たな警戒区域である浪江町の境界まで車を走らせました。警察の方々がバリケードを張って、それ以上入れません。警察の方と話をすると長崎から来ているとのことでした。

8時にセンターに行き、8:30からマッチングが始まりました。地元の要望に対して、誰をどこに行かせるか決める作業です。約60人のボランティアがセンター長を囲み、地元要望の内容を聞きます。5件ほどあった案件はすべて小高区のものでした。ボランティアが多いうちに、少しでも小高を救いたいというセンター前の意気込みを感じます。

私は、佐藤さんというお宅の家屋の壁剥がし及び泥だらけになった家具の搬出作業で15人でのチームに加えて頂きました。メンバーの中に夫婦で来られているのが2組、そしてなんと11歳の女の子を連れて来られた家族がいました。聞けば、山口県から車で来ていて、言い出したのは女の子だそうです。女の子の通う小学校に、災害支援で被災地に行った消防隊員が来て話を聞き、ボランティアがしたいと思ったとのことでした。
この女の子にも驚きましたが、放射能が残るこの福島(実際、南相馬は大した数値ではない)で小学校6年生の娘を
つれてきた親にも感動です。

佐藤さんのお宅に着き、早速作業開始。私はバールで壁のコンパネを剥がす作業と、精米機の一部撤去を担当しました。
ご主人(65歳くらい)いわく、排水施設が破壊し、たんぼは水びたしで、防潮堤の改築は何年もかかり、施設が整備されたとしても、風評被害で、自分の代では米作りはできないとのこと。農業機械もすべて廃棄すると言われました。
このお宅ではおばあちゃんが津波で亡くなっています。立派だった家は津波被害で半壊に近い状態でした。避難中、3回も家には泥棒が入っています。もかかわらず、私達ボランティアに笑顔で、これまでのことを説明してくれるご主人。私はいたたまれない気持ちになりました。

作業の方は、みんなの頑張りでほとんど終わり、16時にはセンターに戻りました。

明日(5/5)は東京からくるナインという団体に合流して活動します。

(写真は早朝、小高区で、水びたしのたんぼを撮ったもの。破壊した車が2台写っています。)

友人のメール三日目

05 05, 2012

GW (前半戦)のボランティアも今日で終わり。活動報告じゃい。

6:30起床→掃除→各自朝食→8:30ミーティング。昨日と同じような流れでしたが、ミーティングの時、センター長にはまた泣かされてしまいました。
昨日、センター長は、ボランティアは、できる人が、できる時に、できることをすることなのだと言われましたが、今朝はそれに加え、できる時は正に今なのです。小高(おだか:4/16に警戒区域が解除された区。震災から時間が止まっている場所)で活動できるようになった今、私達が被災者の心のトゲを抜いてあげないといけない。同情ではなく、苦しみを分けあうのです。みなさんは被災者の心の光なんです。と言われました。私は、涙と鼻水が止まりませんでした。でも、涙を拭いたり、鼻水を吸うと、泣いているのバレるので、鼻水も垂れ流し状態で、正直参りました。まったく、あのセンター長(松本さん)にはやられました。
そして、これを聞いた後、私の中には小高で働きたいという思いが強くなり、ヘルメットをかぶり真っ先に志願したのですが、他のボランティアも思いは同じらしく、希望者多数で、私は別の現場にいくことになりました。残念ですが、ボランティアが被災地を選ぶのはおかしいとヨメさんにも指摘され、反省して鹿島区の水田のガレキ撤去に向かいました。
水田のガレキ撤去作業は、津波でガレキやヘドロが50㎝堆積した水田で、スコップで土砂をかき揚げてガレキを撤去する単調な作業ですが、昨日までの疲労もあり、作業終了状態には、握力がなくなっていました。
16:15、新幹線の時間が迫ってきたので、私達は慌てて、センターを出発し、なんとか福島発18:03の新幹線に乗ることが出来ました。
今回の活動でたくさんの方と出会い、心が洗われる思いをしました。明日からの日常生活、この気持ちを忘れないようにしたいものです。そしてなんとしても、5/3昼にはかかえている仕事を終わらせ、夜にはセンターに戻って、後半のボランティア活動をしたいと思います。

活動報告読んでもらってありがとうございました。
(写真はセンターの前でヨメさんと撮ってもらったものです)

土橋傑

私の友人のメール

05 01, 2012



昨日(4/29)の活動報告じゃい。
適当に読んでね。(^_^)/


福島県南相馬市でボランティア活動をさせて頂いて2日目、朝、ボランティアセンターのセンター長が、ボランティアは初めての人が多いのでと、お話しをされました。ボランティアとは、できる人ができる時に、できることをすること。無理をして1日もたなければ意味がない。無理をせず長く活動をすることが大事なのです。と説明されました。そして今、福島は原発事故からどう復興するか世界が注目している。私たちはその一助けを担ってるのだと言われました。私は昨年から宮城、福島で活動をしていて、ぼんやりと同じことを考えていましたが、こんなにはっきり言われたことはなく、すごく心に響き、涙が出ました。また、このボランティアセンターでは、毎日現場に着いたら、作業を始める前に、被害が大きかった海に向かって1分間の黙祷をするなど、ボランティアに自分の活動の意味を認識させる時間もあり、意識の高さを感じました。
作業の方は、昨日の現場である墓地の側溝の泥出しで13人のボランティアが従事しました。昨日の現場経験者だということで、私はリーダーのお役を頂きましたが、ボランティアの鉄則として、無理なく楽しく作業をすることが大事なので、一人で突っ走らないようとても気を使いました。特に力仕事に慣れておらず、大変そうな方がいて、でもなんとか私の思っているノルマは達成したいという思いもあり、作業の指示やペース配分には特に気を使います。そんな中、ヨメさんが休憩時間のタイムキーパーをするなど手伝ってくれたので、すごく助かりました。
今回のボランティア活動(前半戦)も明日(4/30)が最後。悔いがのこらないよう頑張ろうと思います。
【写真は今日の現場で、きれいになった側溝の様子】

つっちん



高校の柔道部のキャプテンだった彼の姿を思い出します